第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの78回目。
(写真は54次隊のときのもの)
しらせが昭和基地を出発した、と言っても
そこはまだ南極圏。
凍てつく氷の海は、
時にこのような威力を見せつける。
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これは、海の分厚い氷に大きな亀裂が入った光景だ。
相当な力が加わっていることはすぐに想像できる。
見ているうちに、
ここで地球が真っ二つに分かれているのではないか、
とさえ思えてくる。
亀裂は、ずっとむこうの水平線まで続いていた。
この亀裂はプレッシャーリッジと呼ばれ、
大きく成長することもある。
いわば地層の断層のようなものだ。
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そんな氷の世界でたくましく生きていたのは、
コウテイペンギンたち。
愛嬌たっぷりの彼らだが、
むき出しの地球の中でも負けない強さを兼ね備えている。
以来、私のペンギンを見つめる目が
変わったことは言うまでもない。
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第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの77回目。
(写真は54次隊のときのもの)
第54次越冬隊、第55次夏隊を乗せたしらせは、
昭和基地を出てからずっと南極大陸沿いに東進してきたが、
そろそろシドニーへ向けて北上を始める頃だろう。
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昭和基地を離れる頃のしらせは、
この氷の中をなんとかして方向転換し、
元来た道を戻っていく。
この写真は、昭和基地から戻る便から空撮したもの。
我々54次隊の時は、昭和基地に接岸できなかったので、
まさに、この場所が行き止まりとなっていた。
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しらせは、
また寒い冬がやってきて氷に閉じ込められる前に、
ここを脱出しなければならない。
昭和基地がどんどん遠くなるのを見ながら、
しらせは帰路も
こうして力強く氷を割って進んでいく。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの76回目。
(写真は54次隊のときのもの)
昭和基地で、ある3日間続けて見た雲。
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おそらく「つるし雲」のなかまだと思う。
よく富士山の山頂付近で見られる
ちょっとめずらしい形の雲ということで、
何かのスナップ写真で見たことはあった。
それとよくにた雲だったので気になって写真に収めた。
ところが、その次の日も、
また同じ場所にこんな雲が出ていたではないか。
またまた、その日も写真に収めておいた。
すると、その次の日も、
またまた同じ場所にこんな雲が出ていたのである。
3日間連続のつるし雲の出現だった。
またまたまた、その日も写真に収めておいた。
つるし雲は、風と地形の影響によって、
山頂付近を湿った空気が昇る際に断熱冷却されてできるという。
だが、昭和基地付近には、高い山などない。
せいぜい数十〜百メートルくらいだろう。
南極のように低温の場所では、
このくらいの高度でも、こんな現象が起こるのかもしれない。
しかも、よく見ると、
左右に2つできている。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの75回目。
(写真は54次隊のときのもの)
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昭和基地をあとにする直前に、
ずっとお世話になってきた宿、通称「二夏」へ立ち寄る。
先日紹介した「一夏」のベッドに引っ越すまでは、
このパイプの2段ベッドの上段がずっと自分の居室だった。
頭上には単行本が置ける程度の浅い棚に身の回りの物を並べた。
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みんなが集まるサロンの中央に、寝台を再利用した長机があり、
角には、水がめがわりの湯沸かし器があり、
壁伝いには、びっしりと缶詰などの非常食が積み上げられていた。
賞味期限の迫ったものからこうして配給されていく。
水はポリタンクに入れて、一日1回湯沸かし器に補給する。
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第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの73回目。
(写真は54次隊のときのもの)
昭和基地の管理棟の夜。
みんなが寝静まったあとのサロンで
書棚の中の過去の記録新聞を読んだ。
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各隊では、南極昭和基地での生活を
独自の新聞にまとめている。
新聞の届かない南極だが、
この新聞はほぼ毎日欠かさず書き留められる。
そこには、隊員たちの苦労や喜びや寂しさや楽しみが
豊富な知識とたくさんのユーモアを織り交ぜながら綴ってある。
おそらく、担当者が日替わりでかわっているので、
それぞれの紙面には個性があふれていて、
その魅力は、ページをめくる手がとまらなくなるほど。
読んでいる内に、何年も前の観測隊の中に
タイムスリップしたかのような錯覚に浸るのも好きだった。
時折、ページの中に写真がのっていて、
その写真がまさに今自分が座っているこのあたりだったりすると、
ボルテージがまた高くなるのだ。
歴史は一日、一日の積み重ね。
今日もまた、新しい一ページが書き加えられていることだろう。
54次隊の新聞は、54だから「ゴシップ新聞」。
55次隊の新聞は、どんな名前に決まったのかな?”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの71回目。
(写真は54次隊のときのもの)
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昭和基地の中心、
19広場をちょっと下った所に、
福島ケルンが建立されている。
観測隊の歴史の中で唯一の遭難事故で
尊い命が奪われたのだが、
このケルンはその教訓を忘れまいという
強い決意の表れでもある。
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毎年、越冬隊はその越冬成立の節目で
安全祈願を兼ねて慰霊祭を行うのが常。
しかし、私は夏隊だったため
慰霊祭には参加できないとがわかっていた。
それでも、こんな自分が南極の地で
何かできることはないだろうかと思ったとき
その一つは、南極観測にかけた先輩隊員の供養だと思った。
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私は、リュックの隅に衣と袈裟と
経本とおりんと香炉とろうそくの入ったかばんを
そっとしのばせて持って行った。
実家はお寺だったので、携帯に便利なものを出発前に準備した。
越冬隊長からは、「隊としては後日、別に行うつもりだが、
君が個人的な思いでする分には何の問題もない」
との返答をいただいた。
その日は折しも、ブリザードが近づいてくると予報されていた。
私は、天候が荒れる前の昼食時に、
休憩をとっている隊員たちに声をかけ、
慰霊祭を行うことにした。
ケルンの前には、数名の隊員たちが集まった。
私の読経はとても上手とはいえないが、
それでも滞りなく
しめやかに慰霊祭を執り行うことができた。
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第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの70回目。
(写真は54次隊のときのもの)
しらせが順調な航海に戻れそうなので
話題を再び昭和基地に戻してみたい。
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南極の自然界では緑の葉っぱが育つ、
ということはあり得ない。
だから、この新鮮な野菜は、昭和基地ではとても貴重品だ。
水や温度や栄養などの条件を整えて
ここまで手塩にかけて育ててきたものだ。
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畑はこのようになっている。
ここは、「農協」と呼ばれている部屋の中。
お世話に取り組んできた隊員は
少しずつ根を伸ばし、小さな葉をつけ、茎を太らせていく日々を
どんな思いで見つめてきたのだろうか。
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やがて小さな芽たちは、この大きさになる。
収穫した手の重みは、
その人にしかわからないのかもしれない。
ちょうど、ソチオリンピックの選手が
メダルを手にした時のように。
昭和基地の食卓にならんだ野菜たちは
みんなから羨望のまなざしを受ける。
野菜がきらいだ、
などといっているものたちはどこにもいない。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの69回目。
(写真は54次隊のときのもの)
無事、しらせが座礁から離脱したとのこと。
さらに、乗組員には異常なしということなので、
なおのこと安心。
しらせが南極大陸付近で座礁したということは、
今後の新たな上陸地点を模索していたらしいと想像できるけれど、
実際に我々が見た大陸と海との境界はこうだった。
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もう、ここから先は一歩も立ち入れさせない、
といわんばかりの氷の壁だ。
あまり近づきすぎると、壁にぶち当たって危険だろうし、
たとえ近づけたとしても、
その上に這い上がることなど到底無理。
時折、青白く光が、その異様さを際立たせていた。
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その氷の壁が、
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと
果てしなく続いているのである。
地球を南へ、南へと行ったその先には、
まさに「地球の果て」があったのだ。
地球は丸い、というのは
本当なのだろうか。
今回のしらせ座礁のニュースから
多くの人が、地球の果ての光景について
様々な想像を描いたに違いない。
写真は、今回、しらせが座礁したところから
もう少し東に進んだ
アメリー棚氷とよばれる所。
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